自己愛と共依存の組み合わせ。離れられない仕組み
己愛性パーソナリティ障害と共依存者の組み合わせは、
真の愛ではないにも関わらずお互いに勘違いしてしまう可能性が高く、
お互いに傷をえぐる関係にもなり得ます。
また、よく見られるケースですが、
共依存側が自己愛性パーソナリティ障害の方に過度に執着してしまうことがあります。
頭では離れないといけないとわかっていながら離れられず、むしろ接触を自ら取りに行ったりします
人は一度ついてしまった行動パターンや思考パターンは
なかなか変えることができない仕組みになっています。
元の自分に戻ろうとする機能(心理学でホメオタスと呼ぶ)が備わっているのです。
人間関係においても、
付き合う人を変えればいいわけではないのです。
夫婦関係にしても離婚して終わりではないのです。
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「もういいよ別れる。」
あなたがそうなった瞬間に
「あなたが好きなんだ、失いたくない。」
戻ればまた同じことの繰り返し。
そして好きなら、拒否するようなことはしないでしょう。
時と場合によってはけんかして口を利かない日々もあると思います。
でも、一緒にやっていきたいという基本は
変わらず、自分が歩み寄ったり
もしくは分かってもらおうと話をしたり、
それで関係性が作られていくのだと思います。
その両方をされることは異常で
病気でない限りありえないのです。
それって優しさじゃなくて共依存?
優しさと共依存の違い。
共依存の人たちは自分では気がつかないうちに他者主体で生きています。
相手が自分に依存してくれる状態が一番望ましい
相手が自分に依存してくれることで自分の存在価値を感じる
他者の問題を自分の問題と一緒くたにし、自分を犠牲にして取り組みます。
これって優しさではないのか?と錯覚してしまいますが
共依存症の関係にいる人は、自分を犠牲にするの<限度>を知らず、自分自身の事を省みないため自分自身も散々な状況に追い込んでしまうのです。
相手はどんな状況でも助けてくれる事を常に期待し、自分は相手に期待される状況が心地よく感じてしまいます。無意識レベルです。
自己愛と被害者の関係にない<共依存の関係の人たち>の状況を第三者から見ると、共依存の人たちの行動はただの傷の舐め合いをしているだけで何一つ解決に結びつく行動または思考が出来ない事が多いです。
共依存てお互い幸せに出来ない関係だし、結果自分も相手も助けられない関係だから良くないんですね。
私と母の関係も共依存でした。
自己愛と被害者の関係でいうともちろん<相手>は自己愛、助ける側が<被害者>の場合がほとんどです。
そしてアダルトチルドレンの人達は
・自信がない
・自分の欲求を正しく表現する事が出来ない(察してほしい)
・見捨てられるのが怖い
・他人に主導権を握ってもらう
・人は人、他人は他人という根本的なラインがないもしくは脆い
と言った特徴があり、これは人を操ることに長けている自己愛の餌食にぴったりの特徴です。
あの一件物凄い魅力的な自己愛を目の前にしたら、アダルトチルドレン持ちは直ぐに罠にかかってしまいます。
被害者は自己肯定感が低く、とても優しい? その理由③ アダルトチルドレン
そのような家庭環境を経て来た私はどうして優しすぎると言われるぐらい優しく育つ事が出来たのでしょうか?
その優しさとは本当に優しさだったのでしょうか。
実は私は優しくなんてなかったのです。
(意地悪でもないですが)
ただ、人に嫌われたくなかったのです。
嫌われたくないから人の顔色を伺い相手の事を思いやってる振りをしながら、自分が嫌な事でもやったり言ったりしてたのです。
本当の内面は怒りと悲しみが渦巻いてました。
だから人と居るととても疲れてしまい楽しめない、人と親しくなるのが億劫。
何故こんなにも人と居ると疲れるのか自分で解らない時がありましたが、ずっと自分が感じてる感情と別の事をしてるから疲れていたのです。
他の人から見たら会ってる時はノリが良く明るい人だけど、いまいち距離が縮められない人だと思われていたと思います。
テルミはノリが良いねなんて言われた事もあります。
飲み会でも参加してくれると盛り上がって楽しいって言われました(^_^;)
人が嫌いなわけではないんですね。
でもそんなだから常に孤独を感じ寂しくて堪らない。
すでにお判りの方は居ると思いますが、私は正にアダルトチルドレンに出来上がってしまいました。
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そしてアダルトチルドレン持ちは自己愛被害者になりやすいです。
簡単に自己愛にコントロール出来ちゃうからです。
次は共依存について書きたいと思います。
被害者は自己肯定感が低く、とても優しい? その理由② 不幸な家庭環境
私の育った家庭環境は結構酷いものでした。
今思うと周りの大人達全員が自己愛性人格障害か他の人格障害だったのかもしれません。
父は仕事でいつも家にいない人でした。
私の幼い時に母が他の男性とできてしまい父を捨てて弟ができました。
それで何故か姉と私は母に連れられその相手の人と暮らすことになりました。
それまでは父が不在の事が多いけれども両親揃った幸せな家庭でした。
それが一変し、義理の父に酷い扱いを受けて生活しなくてはいけなくなりました。
いつも義理の父の顔色を見てビクビク、言葉の暴力、行動の制限、家事の強制、母と義父の怒鳴り合いに身を小さくして耐える。
今思えば本当に虐待です。
しかし母はテレビで見る虐待に加わるタイプではなく、一見変わらず私達のことを愛してくれてるように見えました。
私も母が大好きだったのでいつも義父の姿が見えないと甘えていました。
ごめんね、我慢してね。とよく言われました。
でも私は母を困らせたくないし、大好きだったのでなんともなく振る舞っていました。
謝るくらいなら、何故我慢させるのか、何故自分の子供をそのような環境に置いておけるのか、今ならわかります。母は自分の事と弟の事だけしか考えられなかったのでしょう。かと言って姉と私を手放す事もしなかった。
やはりそんな状況ではまともな精神な状態になれるわけなく
小学校五年生の頃、友達と話してる時自分がきちんと話せなくなってることに気付きました。そして遊びに行く事も自由に出来ず、安心できる場所がない。
外で家庭内の事を話すのはタブーでした。
学校では何の問題もない振りをしていました。
誰にも話した事ありません。
これが自分の痛みを無視することの始まりだったと今では考えています。
もちろん虐待を受けてると自信なんてものはなくなります。
小学五年生という早い時期に私は対人関係に影響が出てたんだと気づいたのは最近になってからです。
被害者は自己肯定感が低く、とても優しい ?その理由① 回復への手掛かり
被害者になりやすい人は、元から優しいという素質もあるのと共に自己愛同様育ってきた家庭環境に問題がある人が多いようです。
確かにお父さんお母さんに愛情込めて健全に育てられた人は、きちんとした自己肯定感・自信がありますね。
この自己肯定感・自信とはなんなのかと言うと
本当に初歩中の初歩
『自分の存在を当然だと思えるか思えないか』
だと気付きました。
違うと感じる方もいるかもしれませんが、私にとってはこれだ!と思いました。
自信があると対人関係でも大きな違いが出てきます。
自己肯定感があると自分の痛みに気づけます。
嫌な事を嫌と言えます。
言えない人は人に大切にされません。
昔、親友だった子にもてるみは優しすぎるねって言われました。
そして、その親友にも裏切られました。
今思えば、私もきちんと自分の気持ちを伝えなかったからかもしれません。
そしてプライド
プライドってとても厄介です。
大切な事でもあるけど
自分の痛みを見て見ぬ振りできたのは、このプライドがあるせいでもありました。
人にかわいそうって思われたくない、辛いって自分で認めたくない
そんな気持ちが働いていました。
本当の気持ち、辛さを言える人は本当に誰もいませんでした。
そして周囲の人達は、こいつはこんな目にあっても大丈夫なんだって態度で私に接してきました。
本当は全然大丈夫じゃありませんでした。
私はとっても孤独でした。今でも孤独です。
そして、自己肯定感が低いまま生きてくとどんどん周囲の人に心を削り取られて行きます。ボロボロになり、やっと自分でそのことに気づいた時には精神が病んでいる事が多いです。
削られれば削られるほど回復するまでに長い時間が掛かります。
早く気づくのが良いに越した事はないですね。
自己肯定感の大切さ
私は彼のいい部分しかみようとしてなかったと思います。
今考えれば自分の中で危険だよってアラームがなっても耳栓して聞こえないふりをしてました。
被害者になる人には人の痛みには敏感だけど自分の痛みには凄く鈍感と言う共通点があります。
要するに自己肯定感が著しく低いのです。
だから本当は結構辛いのにこのぐらい大丈夫と自分の痛みを無視してします。
事なかれ主義でもあるとお思います。
自己愛はきちんとそういった所を無意識に見極める能力があります。
この人には出来ないけど、この人は自分の事を顧みずやってくれると。
だからこんなことしても大丈夫とエスカレートして行きます。
被害者は辛いけど、自分も悪かったから。。。(本当は悪くない!!)
この悪のループにより被害者はどんどん弱って行きます。
今でも自己愛の私に対する態度が昨日のように思い出せます。
普通に話してる時に突然私を見下す言葉や態度。
本当につかなくてもいい細かい嘘。
矛盾を指摘すると直ぐ声を荒げる。
一番辛かったのは、どうして自己愛の行動が理解できず、なぜそう言うことするのかとメールで聞いた所
自己愛瞬間的に激怒&暴言→私:え?何怒ってるの?聞いてるだけだよ→自己愛:お前がイライラさせるんだ→電話ブロック
これを妊娠中もやられました。
今でも当時の事を思い出すと胸の中が熱くなります。
出会い 自己愛と出会った頃
自己愛に出会った頃、ものすごく人の気持ちがわかる人だな、なんて思いやりのある優しい人なんだろうと感動した。
彼は器用で、仕草の一つ一つがカッコよくて、面白くて、見た目も私のドストライクだった。そして人を惹きつける力がすごい。人を退屈させない。注目されているのが彼に取って当たり前。現に皆んなが彼に注目する。
生まれ持ってのエンターテイナーだなと思いました。
彼の言葉にいちいち舞い上がり、私は彼に取って特別なんだって思いました。
運命の人かもとさえ思いました。(ある意味では運命の人でした)
そして、彼はモテたと思う。
でも、俗に言うヤリチンの類ではありませんでした。
自己愛の彼の目的は性欲ではなく、”モテる” ”注目を浴びる”事が目的であり、彼のエネルギー充電方法の様でした。
それが勘違いの痛い私は、”私は彼の特別、だって深い仲になる人は私だけじゃない?”と思う気持ちを大きくしました。
そして彼のLOVE BOMBによって深い深い罠にハマっていきました。
何かと言うと、大げさな愛情表現とでも言うのでしょうか。
正に彼は私の運命の相手と思わせる愛の言葉を沢山投げかけてきました。
そしてたまに両親の不仲のための悲しい生い立ち(事実か嘘かは不明)をポツリポツリと語る。
そんな話を聞いた私は『この彼を悲しみから救ってあげたい』と考えていました。はい。